韓国のポータルサイト「イルべ」に「西洋帝国主義に終焉を告げた有色人種の自尊心 日本」という記事が上がっていたので翻訳します。
3行要約
1. 西洋勢力が地球全体を、自分たちの植民地で塗り固めた
2. 有色人種の自尊心である日本が怒り、西洋帝国主義勢力に撤退を突き付けた
3. 戦争で日本は敗れたものの、日本のおかげで、勇気づけられた様々な有色人種の国々が続々と独立し、西洋植民地時代に終焉を告げた
大日本帝国が立ち上がる前、欧米列強の帝国主義勢力は、どこまでも拡大し続けるようにさえ思えた。
耐えかねた日本帝国は欧米列強の植民地を次々と奪還し、彼らをアジアから追い出したのである。
ロスロップ・スタッダード(アメリカ、歴史学者)
400年間の連続勝利によって、白人は本能的に、自分たちの膨張は無限に続くと信じるようになった。
1904年の日露戦争以前には、自分たちの膨張が停止するという思想は、一人も考えが及ばなかった。
(中略)
1900年は、それまでの400年間で、白人のピークだった。
白人はそのときに、立派な名声と実力のピークに達したのだ。
その後、わずか4年が経ち、日本は怒って、ロシアに抵抗し、旅順港に大砲を浴びせ、世界を驚かせた。
その刹那に白人の退潮が始まったのである。
(「有色人種の勃興」政治と宗教社 147頁・151頁)
タイムズ紙(英国)1905.1.3
「日本人は、西洋の学問の成果をすべて収集した。そして、西洋の成果を応用し、組み合わせて使いこなしている。
この民族は、私たちが培った、複雑な文明を、僅か一世代で習得したのだ。
ロシア軍は、ロシア人最高の舞踊(戦闘力)を発揮している。
しかし、それを攻撃する日本人は、もっと素晴らしいと言わざるを得ない。
粘り強さ、機知、素晴らしい勇気、厳しい状況への知的な対応。
いま、世界中が興奮している。
日本人は、自負心の強い西洋人と共に立つ列強であることを世界に示したのだ。」
ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相)
「日本の勝利は私を熱狂させた。私は新しいニュースを見るために毎日、新聞を待っていた。
なんて感激なことだろう。どれほどに多くのアジアの少年、少女、そして大人たちが同じ感激を体験したのか。
欧州の強国ロシアは、アジアの国、日本に敗れたのである。
それならば、アジアはヨーロッパに勝てるかもしれない。」
アルベルト・アインシュタイン(ドイツ)
「近代の日本ほど世界を驚かせたことはない。この驚異的な発展には、他国と他の何かがなければならない。
日本は、3000年の歴史を通じた天皇の存在が、今日の日本を、このように作ったと断言できる。
私はこうした高貴な国が、世界に一つくらいなければならないと思った。
世界の未来は、進むほど進み、その間、何度も紛争は繰り返され、最後に、戦争によって、くたくたになる時が来る。
その際、人類は、真の平和を求め、世界的な盟主を抜擢しなければならない。
この世界の盟主となるのは、武力や財力ではなく、すべての国の歴史を通り抜けた、最も古く、最も尊い国家でなければならない。
世界の文化はアジアから起こりてアジアに帰る。
それはアジアの盟主、日本に戻らなければならない。
私たちは神に感謝する。私たちに日本という高貴な国を作ってくれたことを...」
ウィルヘルム2世(ドイツの皇帝)
「世界に、人類の運命を決める巨大な危機が迫っている。
その最初の戦争は、私たち白色人種のロシア人と、有色人種日本人との戦いだった。
白色人種は不幸にも負けてしまった。
日本人は白人を憎んでいる。
白人が悪魔を憎むのと同じように憎んでいる。
しかし、私たちにとって、日本そのものが危険ではない。
日本が、統一したアジアのリーダーになるのは危険だ。」
(大正12年雑誌「改造」)
W・E・B・デュボイス(ハーバード大学で黒人として最初の博士号を取得した黒人解放運動の指導者)
彼は、欧州による支配から、有色人種を解放する可能性が最も高い国として日本を支持した。
「日本人の魂、文学、芸術、日本精神の発展のために、一致団結した日本人、
つまり一つの大きな理想に鼓舞された日本人だけが、
世界の多くの民族に立派なメッセージ(人種差別否定)を完全な形で送ることができる。」
(「人種の維持」TheConservationoftheRaces)
そして、日本は彼の期待どおり1919年、世界で初めて国際連盟に「人種差別撤廃条項」を提起。
しかし、米国の反対で否決される。
ここから、日米の対立は深まっていく。
米国の黒人社会は、これに怒り、暴動が起きた
オランダ アムステルダム市長(サンティン:1994年に内務大臣就任)
「皆さんの日本は、前回の戦争で敗れ、私たちオランダは勝ちましたが、経済では大敗しました。
今日の日本は、世界で1、2位を争う経済大国となりました。
私たちオランダは、その間、屈辱の連続。つまり、戦争には勝ったにもかかわらず、貧しい国になってしまいました。
戦前は、我が国は「アジア」に大きな植民地(ほとんど現在のインドネシア)があり、石油などの資源や産物で、とても潤っていました。
しかし今は、日本の九州くらいの広さの本国だけで、耐えなければならなくなってしまいました。
皆さんの日本は、アジア各地で「侵略戦争を起こして申し訳ない、アジア民族に大変迷惑をかけた」と、自らを罪人扱いし、謝罪していますが、これは間違いです。
皆さんこそ、自らの血を流し、アジア民族を解放し、救いの手を差し伸べたのです。
人類にとって最高に良い仕事をしました。
どうしてでしょう。
皆さんの国の人々は、過去の本当の歴史を知らず、あるいは洗脳され、悪いことをしたからといって、自分で悪者になっていますが、一旦、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるのです。
実は、悪いのは、私たちの白い人種だからです。
100年も200年も前から、戦って武力で東アジア民族を征服し、自分の領土として勢力の下に置きました。
植民地・属領となり、長い間、奴隷的に酷使されていた東アジア民族を解放し、皆を繁栄させ、崇高な理念を掲げて、大東亜共栄権樹立という目標で立ち上がったのが、日本でした。
本当に悪いのは、侵略して権力を持って、偉そうにしていた西側なのです。
日本は、戦いに負けましたが、東アジアの解放は実現しました。
つまり、日本軍こそ、戦勝国すべてをアジアから追放し、戦争を終わらせました。
その結果、アジア民族はそれぞれ独立を果たしました。
日本の功績は素晴らしく、血を流して戦った皆さんこそ、最高の功労者です。
自分を罪人扱いするのをやめ、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻さなければなりません。」
ジョイス教授(米国コロラド大学歴史学部教授)
「アジア諸国に進出した日本軍の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振興した点にある。
その遺産は戦後もさまざまな形で残っている。
日本の敗戦、それは、もちろん東南アジア全域の独立運動に決定的な意味を持っている。
今が、真の独立ができるチャンスであるとともに、西洋の植民地支配の復活は許してはならないことだと、決意したのです。
民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍によって)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。
そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はこれ以上取り返しのつかないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって気がつく。
(中略)
そして日本は、独立運動を励まし、民族主義者に武器を与えた。」
(「東南アジアの開放と日本の遺産」集英書店、256~257頁)
アーノルド・J・トインビー(英国歴史学者)
「第二次大戦について、日本人は日本のためではなく、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、立派な歴史を残したと言わざるを得ない。
その国々とは、日本が掲げた、大東亜共栄圏に含まれていた国々である。」
(1965年10月28日、英国新聞「オブザーバー」)
「英国最新にして最高の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたのは、特にセンセーションを起こす事件だった。
それはまた、永久的な重要性を持つ事件でもあったのである。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本は、すべての非西欧民族に、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。
この啓示こそが、アジア人の気性に至った永久的な影響は、1967年ベトナムで明らかなことになる。」
(昭和43年3月22日「毎日新聞」)
パク・チョルジュ(韓国 1990年1月逝去享年68歳 韓国-日本文化研究所昭和42年10月)
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、もともと大東亜戦争は決して日本からの戦争ではなかった。
日本は平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアの盟主だった。
最後はハル・ノートをもらい、それを承諾することは屈辱を意味した。
「事態はここに至る。戦わず滅亡するよりは、戦え滅ぼそう」
こう言うのが、開戦時の心境だった。それは日本の武士道の発露だった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に必死に抵抗した。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争においてもそうだった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの日本の2つの戦争が歴史を変え、アジア民族の独立をもたらした。
この意義は大きく強調しなければならない。」
「大東亜戦争で日本は負けたというが、敗戦国は、むしろイギリスをはじめとする植民地を持つ欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をほとんど失ったのではないか。
戦争に勝ったか負けたかは、戦争目的を果たしたか果たさなかったかで決まる。
こう言うのは、クラウゼヴィッツの戦争論だ。
日本は戦闘に敗れながらも、戦争目的を果たした。
日本こそ伝承国であり、日本の戦争こそ、"神聖な戦争"であった。
ある人は、敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、このようなことは直ちに回復できたのではないか。
二百数十万人の戦死者は決して戻ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社に永遠に住み、国民尊崇の対象となる。」
ウィキペディア植民地の項目
第二次世界大戦後、植民地解放は急速に進んだ。 これはいくつかの理由によって引き起こされた。
第一に、日本の太平洋戦争での勝利は、植民地列強が無敵ではないことをインド、中国、その他の被支配民族に示した。
第二に、多くの植民地列強は第二次世界大戦によって著しく弱体化した。