第二次世界大戦中に活躍した日系人部隊「第442連隊戦闘団」を題材にしたヒストリーチャンネルのドキュメンタリー。

第442連隊戦闘団は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。

士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。

ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。

その激闘ぶりは連隊に従軍した約14,000人のうち、死傷率は314%であり、この数字は一人平均三回以上死ぬような大けがをしたということを示している。

そして9,486人がパープルハート章を獲得した。

アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。



第442連隊戦闘団(第100歩兵大隊)

第二次世界大戦中にアメリカ陸軍のなかで「ワン・プカプカ」と呼ばれた部隊があった。
その部隊は結成当初、実戦参加することも予定されず、所属する兵士に一切の期待がされていませんでした。
その部隊の正式名称は「第100歩兵大隊」。ハワイに住む日系アメリカ人で組織された部隊です。
アメリカと日本が戦争状態に入り、日系アメリカ人への偏見や国への忠誠心に対する不信から、アメリカ軍としても、アメリカ人としても認められずにいたのです。

「ワン・プカプカ」はハワイ語で「ワン・ゼロゼロ」。この呼び名は所属していた日系アメリカ人が自らの部隊につけた呼び名でした。しかし、この呼び名を白人の部隊が喜びながら、呼ぶようになります。

イタリア戦線から実戦に参加
1943年9月、イタリアのサレルノ上陸作戦に第100歩兵大隊は参加。
元隊員のヨン・オクキムは、当時の状況をのちに語っている。
「私たちへの“忠誠心”に対する不信を解決するには、戦闘で血を流し、犠牲を払うしかなかった。」
続く2カ月間の戦いで、第100歩兵大隊の働きに注目はされました。
しかし、それでも「不信」は消えず、多くの戦線で必要とされたのは、彼らの部隊が「弾除け」部隊として重宝されたからです。

モンテ・カッシーノの戦い(1944年1月)
続けて1944年1月、第100歩兵大隊はモンテ・カッシーノの戦いに参加。モンテ・カッシーノで大隊は、ドイツ軍の一番防御の厚い戦線に投入されます。
「我々に与えられた任務どれも不可能と思えるようなものばかりだった。
戦場に木は一本もなくなり、建物は崩れ、身を隠すところはどこにもない。
ドイツ軍から見渡せる戦場だった。」と隊員はのちに語っています。
しかし、この戦いなかで、軍から向けられる第100歩兵大隊への“国への忠誠心”の不信が消えていくようになります。

イタリア戦線のアメリカ第5軍の指揮を執るマーク・W・クラーク将軍は、モンテ・カッシーノの戦いぶりに対して、第100歩兵大隊の兵士に勲章を授与。
このときにマーク将軍は「…もう一度繰り返す。第34師団はきみたちを誇りに思う。陸軍第5軍はきみたちを誇りに思う。マークはきみたちを誇りに思う。」とスピーチを3回繰り返しています。
この戦いの後で兵士の1人カルバン・サイトウは、父親に送った手紙の中でこう綴っています。
「…~誰にも志願したことを愚かなことだと言わせない。…~中略~…アメリカは私たちの家だ。
それを他の人には言わせない。」
この段階で第100歩兵大隊の兵士の数は、イタリア上陸当時の1300名から半分以下になっていたという。

第442連隊戦闘団の結成
第100歩兵大隊が実戦に参加する前、彼らが訓練中に見せた高い成績と懸命な働きが軍を動かします。
1943年2月、日系アメリカ人による部隊「第442連隊戦闘団」の編成を発表。4500人の日系アメリカ人で組織された部隊が結成されます。
訓練を終えた第442連隊戦闘団がイタリア戦線に参加するのは、1年ほどあとです。

1944年5月、第442連隊戦闘団がナポリに上陸したとき、白人の部隊が彼らを見つけると「ワンプカプカ!」と彼らを呼び、手を振って喜ぶということを、元442連隊隊員の1人は語っています。
第442連隊戦闘団の隊員たちは、前線で日系アメリカ人の部隊評価を変えた第100歩兵大隊の働きを知ることになります。
連合軍がアンツィオを陥落させたあと、2つの日系アメリカ人部隊は合流。1944年6月、第442連隊戦闘団は第100歩兵大隊を編入。
その後イタリア戦線のローマ北部ベルベデーレ戦のあと、1944年9月末にフランス戦線に配置が変わります。 そして、約6カ月後にまたイタリア戦線に呼び戻されます。

ゴシックラインの戦い(1945年4月)
イタリア戦線から第442連隊戦闘団か引き抜かれたあと、連合軍の前進が非常に遅いものとなっていました。
特にドイツ軍は形成した防衛線「ゴシックライン」の前に、約6カ月間も膠着状態が続いていたといいます。
第442連隊戦闘団は、黒人で編成された第92歩兵師団に配備され、「おとり部隊」として戦闘に参加します。
しかし、第442連隊戦闘団は「おとり」以上の働きを見せ、ゴシックライン防衛線の砦モルゴリト山の攻略を成功させます。

ドイツ軍の陣取ったモルゴリト山の反対側は断崖絶壁となっており、ドイツ軍はそちら側から連合軍の攻撃はないと考えていました。
その300m以上ある断崖絶壁を第442連隊戦闘団は「よじ登る」作戦を決行。
夜の暗闇になかで無灯火、完全武装の兵士たちは崖をよじ登ります。その途中でバランスを崩して落下する兵士たちがいました。
そのとき、落ちていく兵士たちは「声もなく静かに落ちていった」と元隊員は語っています。
奇襲作戦を成功させるため、ドイツ軍に気づかれないように「誰も悲鳴をあげることなく、静かに落ちていった」という。
8時間以上の時間をかけて、崖を登り、夜明けを待ち、第442連隊戦闘団は奇襲をかけてモルゴリト山を攻略。連合軍の6カ月の膠着状態を32分で打破します。
1945年4月14日、ゴシックラインの一部を陥落させ、1945年5月2日、ドイツ軍は降伏。
イタリア戦線の戦いは終結します。

帰国後、トルーマン大統領が第442連隊戦闘団に対して「君たちは、敵だけでなく偏見との戦いにも勝利した」と賛辞を送っています。
第442連隊戦闘団はアメリカ史上最も多くの勲章(1万8000近い勲章)を受けた部隊となり、現在のアメリカ陸軍では「第442連隊戦闘団の歴史」は必修科目になっています。

ですが、戦後の解隊後の隊員の扱い、日経アメリカ人への偏見はなかなか変わることはなく、その後も敵視や軽蔑の扱いを受けたといわれます。

1960年代になると、アメリカ国内の人権意識の変化から「規範的な社会的少数派」として注目されるようになります。

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1: 海外の反応
私の祖父は442部隊の帰還兵です...
彼らの勇気と犠牲に感謝していますが、将来の世代が同じように反応するとは想像もできません。
本当に素晴らしいです。




2: 海外の反応
米軍の歴史の中で最も多くの勲章を受けた部隊です。




3: 海外の反応
私の叔父2人は442部隊に所属していました。
彼らは私が知る限り、最も親切で最も思慮深い男性でした。




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本当の意味での名誉とは、周りの人があらゆる理由をつけてやらなくても、正しいことをすることです。




5: 海外の反応
最後に一言、父は「戦闘で命を落とした兵士たちが、戦後の変化を目にすることができれば、彼らの犠牲は無駄ではない」と言っていました。




6: 海外の反応
彼らは優秀な兵士でした。
彼らには常に深い敬意を表します!!!!!!




7: 海外の反応
日系アメリカ人の男性と女性が故郷のためにしたことは、その故郷が彼らを裁き、投獄し、否定的な差別意識を持っていたとしても、本当に名誉なことであり、畏敬の念を抱かせるものであり、その偉業は彼らの真の素晴らしい人格を代表するものでした。




8: 海外の反応
ほとんどがドイツ系の陸軍退役軍人としては、第100連隊と第442連隊で活躍した二世に畏敬の念を抱くしかありません。




9: 海外の反応
祖国のために戦った日本人を最も尊敬しています。
永遠に記憶され、その忠誠と犠牲を称えられますように!!!!




10: 海外の反応
これを見るのは辛かったです。




11: 海外の反応
誰かがこれを映画化すべきだ!



12: 海外の反応
面白いですね。
アメリカの歴史書では、第二次世界大戦の章でさえ、このようなことは見たことがありません🤔




13: 海外の反応
驚いた。今まで聞いたことがない。




14: 海外の反応
彼らは "偉大な世代 "の中でも最も偉大な存在だった。




15: 海外の反応
驚いたことに、彼らが帰国する直前には、英雄的な歓迎を受けるどころか、アメリカの収容所に送られることになっていた。




16: 海外の反応
なぜこれがまだ映画になっていないのか。




17: 海外の反応
私はドイツ系アメリカ人です。
私はアメリカ海軍でベトナム戦争に従軍しました。




18: 海外の反応
悲しい.....😢😭



19: 海外の反応
私たちは歴史から学ぶことはないのでしょうか?




20: 海外の反応
日本の伝統文化の真の遺産である 武士道、武士の道。
自分たちを追放したパニックの原因となった敵との戦い。
お見事です。




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