日本の真珠湾攻撃で太平洋艦隊が壊滅的な打撃を受けたアメリカは、軍事力を証明するために日本に勝利する必要がありました。

陸軍の爆撃機、海軍の航空母艦、そして1920年代から30年代にかけてのレースやスタントの名手を巻き込んだある大胆な計画は、アメリカが切実に必要としていた軍事的尊敬をもたらし、さらには戦争の流れを大きく変えた。

80人の男、16機の飛行機、そして歴史上最も危険な軍事ミッションの1つにまつわる驚くべきストーリーを紹介する。

東京上空1時間、ドゥーリットル空襲。



シャングリラの基地より爆撃機は発進
1942年4月、真珠湾攻撃以降、連戦連勝で勢いに乗る日本は突然、本土に爆撃を受けます。この作戦についてルーズベルト大統領は、記者団質問に対して「アメリカ陸軍の爆撃機はシャングリラ島の秘密基地より発進した。」と答えます。

この発表で、日本海軍は太平洋の地図を広げ、「シャングリラ島」を探し出そうと必死になりますが、地図のどこにも島は存在しません。
ルーズベルト大統領が言った「シャングリラ島」とは、アメリカ海軍空母「ホーネット」の存在をごまかすためのものでした。

この爆撃の名前は、今では「ドーリットル空襲(Doolittle Raid)」と呼ばれる奇襲作戦。真珠湾攻撃を受け、その逆襲としてルーズベルト大統領が主張した「ハワイ島が攻撃されたように、可能な限り早く日本本土を爆撃する」を実現したものです。

この作戦はアメリカ陸軍のB25爆撃機、アメリカ海軍の空母ホーネットを使った陸海軍合同作戦。そして、作戦のアイディアは1人の潜水艦乗りロー・フランシス・スチュアート大尉によって提案されました。

開戦から2週間で日本本土を攻撃しろ
1941年12月21日、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃(12月7日)から、わずか2週間ほどで「アメリカ国民の士気向上のために日本本土を爆撃すべき」と主張します。
当時、アメリカ陸軍に日本本土を攻撃できる拠点はどこにもなく、対処可能なのは海軍とされました。
しかし、海軍で日本本土の200海里(約370km)まで近づくというリスクをとり、7隻しかない空母(太平洋にいたのは2隻のみ)を犠牲にする“自殺任務”をやろうとする人はいませんでした。

滑走路に描かれた空母の絵
1942年1月、対潜水艦副参謀長だったロー・フランシス・スチュアート大尉はバージニア州ノーフォークを旅行中に「海軍のとある訓練」を見かけます。
滑走路にチョークで描かれた「空母の甲板」を模した絵。海軍パイロットは、その限られた広さの甲板から、艦載機の離着陸させる訓練をしていました。
それを見たスチュアート大尉は「海軍の空母から、陸軍の爆撃機と飛ばす」というアイディアを閃きます。
例えアメリカ陸軍と海軍がお互いにいがみ合っていても、このアイディアに賛同してくれるはずと考えました。
海軍のトップ、アーネスト・ジョゼフ・キング提督にスチュアート大尉はこのアイディアを提案。
キング提督はこのアイディアを気に入り、陸軍ハップ・アーノルド将軍に話を持ちかけます。
ここで海軍と陸軍の両軍合同で「日本本土を爆撃する」方法が本格的に検討されます。

シークレット作戦
問題はありました。
海軍の限られた広さの空母の甲板から、本当に陸軍の爆撃機が飛ばすことができるのか。もし離陸できたとしても、陸軍の爆撃機には空母に着艦する機構を持っていない…。
そのため、爆撃を終えたあとは中立国か友好国に着陸させるか、機体を捨てて乗員だけを救助する必要がありました。
海軍のダンカン大尉と陸軍のジェームズ・ドーリットル中尉の2人に、この「アイディア」が任命されます。
真珠湾攻撃から6週間後、彼らは作戦の志願兵を募ります。条件は「4カ月の国外の任務」、「非常に危険」、「内容については一切答えられない」というもの。それでも志願者は集まりました。

陸軍爆撃機B25の改造
2人はB25爆撃機を空母から飛び立てる「仕様」することから始めます。
後部銃座を撤去、乗員を守る防弾版の撤去、無線の撤去、当時最新式だったノルデン爆撃照準器の撤去(飛行状態を最適な爆撃にする自動操縦も付いていた)。
乗員は「最新機材をどうして取り外すのか」と聞くと上官は「君の機体が落ちて、敵に手に最新機材が渡るのを防ぐためだ」と答えたといいます。
代わり取り付けられたのは「マークトウェイン」という20セントで作られたアルミ製の照準器。
取り払ってできたスペースには燃料タンクを取付け、本来の仕様の2445㍑の燃料を4329㍑に増やした特別仕様のB25が作られました。

特別訓練の結果、志願兵たちは改造されたB25で、空母の限られた飛行甲板の広さ(142m以内)から離陸できるようになります。
その働きに対してジェームズ・ドーリットル中尉は「この任務によく来てくれた。君たちはこの任務に最高の人材だ。もし、君たちのなかで一人でもこの任務のことを話している者がいたら、FBIに突き出す!良い働きぶりだ。ありがとう!」と隊員に伝えている。

作戦開始
1942年4月1日、空母ホーネットに16機のB25が搭載され、そのうちに1機は急遽ドーリットル中尉の乗機となり、作戦指揮官のドーリットル中尉は爆撃任務に参加。
4月18日、日本まで約650海里(約1200km)の地点で、日本のパトロール船「第二十三日東丸」に発見されてしまいます。
ドーリットル中尉は、予定していた作戦発動時間の10時間前、170海里(約310㎞)手前で作戦を発動。
自ら乗り込んだB25爆撃機で、最初に空母から離陸、志願兵に爆撃機が空母から離陸できる手本を見せます(訓練だけで実際に空母から離陸する訓練はしていなかった)。

16機全機無事に空母から離陸し、東京、横浜、名古屋、神戸、大阪とそれぞれ都市に爆撃を実施。
日本の空襲警報は、最初の爆撃が始まって15分後に鳴ったといわれます。
日本側の爆撃の損害は微々たるものでしたが、その心理的な影響は凄まじく、日本海軍長官山本五十六はアメリカ空母撃滅を迫られ、ミッドウェー海戦の大敗北につながります。

この一回きりの奇襲作戦は日本軍に大きな影響与え、日本海軍の面目を潰し、アメリカ国民の士気を高揚させました。
作戦内容の秘匿性を重視して、ルーズベルト大統領は記者団に対して「シャングリラ島から飛び立った」と語ります。
※シャングリラとは、小説家ジェームズ・ヒルトンが書いた小説「失われた地平線」に出てくるチベット神話でユートピアの名前。

ドーリットル空襲(Doolittle Raid)の意味
この作戦は、要したコスト、人員、リスクに対して、物質的な戦果が少ないものでした。
しかし、アメリカ陸軍と海軍が共同して作戦を遂行、成功させたということに大きな意味を持ちます。
この作戦以降、太平洋戦争だけでなく、大西洋、地中海の戦いでも陸軍と海軍、空軍のお互いの枠を超えた共同作戦が展開されるようになります。
それは軍隊の組織自体が、官僚的で縦割りで、横のつながりと作ることが出来なかった日本軍やドイツ軍とは対照的でした。
大西洋、地中海、北アフリカ、イタリアと変わってゆくそれぞれの戦線で、アメリカ軍、イギリス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍など国や分野を超えて、それぞれの陸海空軍は協力して作戦を展開、第2次世界大戦を終結に向かわせました。

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あのB25は、飛行乗務員の男たちの重さでどうやって離陸したのかわからない




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聖書と赦しの話は本当に感動して涙が出ました。




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素敵なビデオ




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驚きのストーリー、まさに勇気の縮図です。




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あまり知られていないことですが、同じ日に東京では民間の緊急時の日常的な訓練が行われていました。
上空を飛ぶB25も訓練の一環だと思っていた。




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私はこれまで、銃撃戦をテーマにした映画をたくさん見てきました。
でも、実際に見てみると、あの男が縛られた男を撃つのを見たとき、銃声が聞こえたときには飛び上がって、震えて、心臓がバクバクしました.......




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話すときに口笛を吹くオヤジが好きです。
自分の意思でそれができたらいいのに。




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これは単純に素晴らしく、私は泣いてしまいました。
歴史はとても重要で、今ではそれを知っている子供はほとんどいません。




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このドキュメンタリーは、他の短い作品では見逃してしまうような余分な部分を補ってくれています。




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幸運にも、航空ショーで行われたドリトル・レイダーズの再結成記念式典に参加することができました。
私はまだ10代でしたが、ヒーローたちの前にいることを実感しました。




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艦隊のほとんどは破壊されなかった。
すべての空母が作戦行動に出た。
そして、損傷を受けた船はすぐに活動を再開しました。
本当に失われたのは2隻だけです。



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アメリカ人がその英雄たちを忘れないことを願っています。




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この人はドリトルという名前を間違えていました
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ソ連へのちょっとした侮辱。
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多くのことを知っていましたが、この空襲に対する何らかの報復として、多くの中国人が殺されたという事実はひどいものです。



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私は退役軍人や軍関係者を見かけると、いつも感謝し、尊敬しています。
退役軍人や軍人のご家族には、私たちがお返しすることができないほどの恩義があります。




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ホーネットから離陸するB25についてはいつも耳にしますが、家に帰れなかったレイダーたちの恐ろしい運命についてはいつも耳にしません。
捕虜たちは本当に国のために犠牲になりました。真のアメリカンヒーローです。




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